宿題「私とシンデレラ」

そもそも、シンデレラってどのようにご存知でしたか?
あなたとわたしと「シンデレラ」の間に、何かが見つかるプロセスワーク。

安藤真理

12時を過ぎ魔法は解けてしまっている。馬車であったかぼちゃを見つめるシンデレラ。手には片方だけ残されたガラスの靴。その両足はちゃんと靴を履いている。
わたしが小さかったころ繰り返し眺めた絵本のシンデレラは姉によって裸足の足に靴が書き加えられていた。蛍光オレンジの靴。爪先も踵も寒くない。物語は王子を待たなくてはいけないのに、なんならこのまま駆け出せそうだ。
勝手に靴履かせんなよ!と当時のわたしは思ってましたが、あれってCOLUMBAのシンデレラだったんじゃないのか。と今は思ってます。

下田寛典

千葉県にもシンデレラが居ました。シンデレラは百姓をやっていました。千葉県のシンデレラに話を聞くと東京出身者でした。街からやって来て、毎日泥だらけになりながら、別に王子を探すわけでもなく、種まき、草取り、収穫の日々です。そんな影で、年寄りは頭をひねって王子候補を選んでいます。農家の嫁になってもらうために。村の存続のために。代々受け継いできた土地を護るために。現代、婚活に悩むのは何も都市の女性だけじゃなく、村の年寄りも息子・孫の婚活に忙しいのです。そんなことを知ってか知らずか、千葉県のシンデレラは自由恋愛の末に地元の農家の息子と結婚することになったそうです。
年寄りの婚活の努力が実ったのかどうかは分かりませんが、結果オーライですね。でも、毎日泥だらけだった千葉県のシンデレラは、やっぱり明日も朝早く起きて、泥だらけになるに違いないのです。農業で暮らすって、結局そういう毎日の積み重ね。街に住む王子だってシンデレラだって、会社通いの同じような毎日の繰り返し。「めでたし、めでたし」になるためには、ガラスの靴の持ち主を探せばそれで良しっていうわけじゃなさそうです。

吉田能

僕にとってシンデレラで印象深いのは、やっぱり12時の鐘が鳴って慌てて逃げるあたり。小さい頃は、「魔法使いの言う通りにしてれば土壇場で焦らなくて済んだのに!バカだな!」なんて、妙に歯がゆい思いで絵本にかじりついていた気がします。
 でも、今になって思えばそれもおかしな話で、何故ならシンデレラが焦って靴を落とさなければ、お城のパーティは一夜の夢で終わっていた訳ですから。もし彼女が本当に慎ましい女の子で、分相応に夢を夢と割り切っていたら…魔法使いの言いつけをキチンと守り、10分前行動でパーティからフェードアウトしていたら、彼女は王子と結ばれなかったはずです。結局シンデレラは、「この夢を終わらせたくない」という往生際の悪い野心によって、幸せを勝ち取ったんですね。だって、ドレスが消えるって言われてるのにギリギリまで踊りまくるなんて、往生際悪いなんてもんじゃないですよ。僕には無理です。
 厳しい生活、冴えない日々を過ごしながら、決して野心を捨てない。そういう女の子は、皆シンデレラ。今はまだエンディングに辿り着いてないかも知れないけど。で、その野心に見合うエンディングが、即ち王子様な訳です。女の子は野心があれば誰でもシンデレラになれますが、男の子が皆王子になれるかと言うと、それはまた別のお話です。
 ハッピーエンドの夢を見るべく、コンディション万全で眠る女の子。彼女が目覚めた時、その夢の続きに、僕はなれるか?

寺西麻利子

「あんたは欲がない」と言われた。その言葉の本意はよくわからなかったが、なんかむかついた。私にだって欲はあるよ、と思った。おいしいものを食べたいし、できるだけいっぱい寝て、いつも良いコンディションでいたい。・・・でももしかしたら「・・・以上。」かもしれない。生理的な欲求はあっても、それ以上は「ないよりはあったほうがいいよね」ぐらいなもんで、こだわりがない。たしかに「どっちでもいい」とかすぐ言うし、それはテキトーだからとか気を使ってとかではなく、本心で言っている。「どうでもいい」とは近いけどニュアンスが違って、どちらになったとしても結果的には大差はないと思っている。2000年経ってみたらどっちでもいい、ていうか。宇宙からみたらどっちでもいい、ていうか。胸を張ってそう思ってる。でも、それってなんだか虚しくなるときもある。なんもないじゃん、わたしって空洞じゃん、みたいな。張ってた胸がしゅ〜んと萎んで、やっぱり私にだって欲はあるよ、と堂々巡りをするのです。

むかし「追いかけられると〜逃げ〜たくなる〜、冷たくされると〜泣き〜たく〜な〜る〜♪」という切ないラブソングを夢中になって歌いましたが、それにこう付け足したいと思います。「なんにもされないと〜ちょっかい出したく〜な〜る〜♪」シンデレラはちょっかい出されて王子と結婚しただけ。木はちょっかい出されて切り株になっただけ。なんにもしなかったから。結果的に私たち第三者から見たときにシンデレラは幸せそうに、切り株はなんかかわいそうに見えた、ということであって、中身は同じだと思います。胸を張って「宇宙からみたらどっちでもいい」て思えたら、本心で「私は空洞です」って言えたら、それすら忘れたら、ピックアップされてしまうのです・・・!!!嬉しいとも嫌だなとも思いませんが、なんか怖い。けど興味ある。ちょっと楽しそう。いやどうだろ。

小林悠

初めてラブレターを書いたのは小学校5年生のとき。「あなたが好きです」と書いたものの、だからなんなんだ、と自問して続きが書けず、結局渡せませんでした。しかたがないから「階段の2段目を踏まないように気をつければ、好きな人と結ばれる」っておまじないをやっていました。「結ばれる」って、どんなことかは良く分からなかったけど。
そんな私もやがてラブレターの続きが書けるようになりました。好きな人と手を繋いだり、見つめ合ったり、未来を約束したりしました。恋のステップ踏みました。
でも、シンデレラには2段目を避けて欲しいな。ガラスの靴よりも、おまじないの効果で好きな人と結ばれて欲しいな。その方が素敵だと思うんだ。結ばれるって、そういうことだと思うんだ。そろりと2段目を避けたあのつま先が、今までで一番熱っぽかったと思うんだ。

中澤大輔

『シンデレラ』は、別れた女の子を忘れられない男の子の話だと思う。
ある日、家に帰ってみたら、荷物がなくなっていた。いや、自分の荷物はあるんだけど、彼女の持ち物が全部ない。洗面台の化粧品も、クローゼットにあった服たちも。急にどきどきしてうろうろしてみても、何も見つからない。手紙とか、あるかもしれないと思ったけど、テーブルの上には、昨日届いた郵便物がいくつか置いてあるだけ。何も考えられなくなって、ふと玄関にいったら、靴が一足残されていた。一足というより、正確には、左のほうだけ。もしかしたらまだ近くにいるかも、と思って玄関の外に飛び出してはみたけれど、そんなにもう近くにはいないだろう。
『シンデレラ』は、選ばれた特別な女の子の話だと思う。ってある女の子がいっていた。でも男の子からすれば、女の子のペースにはとてもじゃないけどついていけない。あんなに大好きだっていってたし、まあいろいろケンカもしたりしたけど、話し合って仲直りしてきたつもりだし、おれはいつも君のことを応援していたし、この2人ならうまくやっていけるって思ってた。でも女の子は、さっきまで泣いたり笑ったりしていたのになんだか急に決心を固めてしまって、家を出て行ってしまう。そういうときの気持ちの切り替えの早さっていうか、一度「ないかも」って思ったらもう全然なくなってしまってるっていう、ある意味での強さ。ほんと、困るよ。
残された靴を片手に、自分の気持ちを整理しようとしても、どうにもうまくいかない。
あのときこうすればよかったのかもしれないって反省したり、どういう気持ちで家を出て行ったんだろうとか、この道を歩いて彼女は家を出て行ったのかと思いながら、駅までの道を歩いていたら、桜がもう満開になっていた。一緒に見たな。今年も一緒に見たかったな。あの子が残した靴を片手に、想いを馳せる、そんな物語。